邂逅~不思議な少年との出会い

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眼石祝応のBLOG

邂逅~不思議な少年との出会い

2022/01/24

可愛い子には旅をさせよ、なんて言葉を出すまでもなく、

僕は大人になってから積極的に旅に出るようにしている。

自分自身が旅先で見聞を広める事が自分自身の成長にもつながり、

また、それは世の為人の為に働くときのアイディアのヒントにも

繋がる事が本当に多かったからだ。

コロナ禍になってそれも半減したが、

 

コロナ禍の第六波のただ中、僕は沖縄にいる。

二年間沖縄のお店の営業を自粛してきたが、

沖縄にも僕を待っているお客様が少数かもしれないが、

確実にいて、僕はその方たちの悲鳴にも似た声を聴き、

はせ参じた次第なのです。

 

別に自分の行動を正当化しようとは思わないし、

こんな時期に旅をしてとご批判を受けるかもしれないが、

今日の僕のblogや沖縄にいること、それに対して

多くのご意見がある事も重々理解しているつもりです。

 

ご批判は甘んじて受ける覚悟はあるという事なのです。

今回も二日間営業をしてきて、既存のお客様、新規のお客様との

ご縁を頂き目を心を体を見させて頂きました。

 

そもそも沖縄とのご縁も不思議なのだが、

昨晩僕も首をかしげたくなる程の

不思議なご縁を頂き、そしてそれをどうしても

記録としてし書き留めたくなったのです。

 

1月の沖縄はオフシーズン、コロナ禍でなくとも、

真夏に比して人でが少ないのはいつもの事、

でも今年の第六波真っ最中の沖縄の観光地は

人の少なさはもはや異常レベルで、ホテルの稼働率で言えば、

10%程度と地元のテレビで報じていた。

 

10%でも心が折れずに続けて頂いているお蔭で

僕らは泊まれたのだから感謝しかないのだけれども、

いつもは冬でも複数名の人が大浴場にいらっしゃるのに、

ここ数日、僕一人か、いても、もう一人いるかいないか、

 

ある意味ゆっくり出来て、これはこれで良いかとも思えるの

だけれども、それでも一抹の寂しさと

こんなんで観光業ひいては沖縄経済が

大丈夫かと今後の不安がよぎってしまいます。

 

そんな事をぼんやりと考えていると

大浴場のふろ場のガラス戸が開いた気配がした。

 

僕はすっと入口に目を向けると

10歳には満たないだろうか、

細身の男の子がふろ場に入ってきた。

 

さっとお湯を掛けて僕から1mくらい離れたところに

その子は腰かけた。横幅8m奥行3mくらいのタイル張りの浴槽で、

何も1m隣に座る理由がないのに、不思議と僕は思ったその瞬間、

先手をとられてその男の子から

 

「こんばんは…。」

 

と声を掛けられた。僕も若干慌てて

子供に先に挨拶をさせてしまったと恐縮しながら、

 

「あ、今晩は。」と返事をしてニコッと

作り笑いで応対した。

 

「一人でお風呂かい?偉いね。」

 

と僕が聞くと

 

「うん、僕は8歳だから、妹とお母さんは一緒に女湯で、

僕は小学生からは女湯に一緒に入れないから…。」

 

と少し寂しげに答えた。

 

「そうか、本当は一緒に入りたいだろう?」

 

っと僕が聞くと

 

「うん。」

 

と消え入りそうな声で答えた。

なんか、健気に一人で風呂に入っているその子を見て僕も

なんとも言えない悲しみを覚え、その子の境遇に共感してしまった。

せめて知らないおじさんでも一人じゃないし、世間はそんなに悪いもんじゃないぜ、

って言いたくて僕はその子の話し相手になろうと腹をくくった。

 

僕「君はいくつなのの?」

 

少年「8歳」

 

僕「どこから来たの?」

 

少年「ん?日本から。」

 

と答えた。どうやらお母さんに東京から来たなんて言うと

コロナ禍なのにと批判されるからぼやかしなさいと言われたのでしょう。

ま、ぼやかすにも程があるが、日本からと答えられて僕はクスッと笑ってしまった。

 

笑われた事にも気づかず少年は話をつづけた。

 

「うちはお父さんがいないんだ。別れてしまったんだ。」

 

「そうか、それは寂しいけど、

お母さん一人で君たち二人を沖縄に連れてこれるんだから、

お母さんは立派だし、強いね。」

 

と僕は返した。確かにこんなご時勢に子供二人を育てて

沖縄の決して安くはないホテルに何泊もつれてこれるのだから

凄い事だと思った。そんな事を話をしながら考えていると

彼から思いもよらぬ言葉を聞いた。

 

「ね~、おじさんどこの部屋にいるの?」

 

「え、〇〇〇号室だけど。」

 

「この後その部屋に行ってもいい?」

 

っと突然ふられて僕も流石に動揺した。

勝手に安請け合いをして、妻に叱られるのも目に見えていたからだ。

 

「う~ん、僕は一人で来てないから、奥さんと一緒だから、

それは、不味いかな…。」

 

正直断るにしてももっと気の利いた返しがあったのでは?

っと反省した。少年は明らかに落胆の色も隠せず

項垂れたが、それでも気丈に

 

「そっか。」

 

と誰から見ても分かる、作り笑いをニコリとした。

 

するとまた浴場の扉が開き、受付カウンターにいらした

女性が風呂に入ってきた。どうやら女湯のお母さまからの伝言で

体をちゃんと洗ってから出なさいと言われたようだった。

 

先ほど部屋に来るのを断ったのも気まずいし、

僕は

 

「背中を流してやろうか?」

 

と声を掛けると

 

満面の笑みで

 

「うん。」とうなづき、

 

ノベルティでもらったと言ってた

イルカの形をしたスポンジを僕に手渡した。

 

僕は背中を流しながら

 

「もっと強い方がいいか?」

 

っと聞きながら力の加減を探った。

一通り背中を流して、もういいか?

 

と聞くと

 

「前も洗って。」と懇願された。

 

乗り掛かった舟だと僕は足の裏まで

自分の体でも洗わないくらい丁寧に洗ってあげた。

 

股間は自分でやれよ。

 

っと言いながら僕は洗い場から、数歩先の浴槽へ足を運んだ。

ちゃんとおちんちんも洗ったよ。なんて報告を受けながら

ちょっとした親子ごっこを僕も楽しんでいた。

 

その子は、洗い終えると風呂から出ようとしていた。

僕はそれでは湯冷めしてしまうと心配し、

「出る前に30秒でいいから肩までつかんな。」

 

と少年を自分の入っている風呂の横に誘った。

少年はせっかく風呂に入ったのにまた湯船に浸かると

汚れてしまうと思ったらしい。

 

僕は「若しも汚いと思うなら風呂から出たらさっとシャワーを浴びればいいよ。

でもね、こんな考えもあるんだよ。ここは(沖縄にしては珍しい)温泉だから、

その温泉の成分は洗い流さない方が体が温まって長続きするんだよ。

だから、好きにすればいいさ。でも出る前に一緒に入ろうよ。」

 

とラブコールをしたのです。

 

僕は生まれて最初に住んだ家は、

平屋の借家で、変わったつくりをしていた。

お風呂に行くには一度縁側に出てから、

縁側を通り、風呂に入るのです。

当然冬は寒く、湯冷めをしやすいので、

必然的に風呂から出る前に一緒に入っている父は

当時4歳くらいの僕に風呂から出る前に肩まで浸かれ、

そして30秒数えなさいと僕にノルマを課した。

 

当時流行していたコマーシャルののせて

「い~ち、に~い、ミツカンボンズ~。」

サンで済むところを、何とか長くしようと父はミツカンポン酢で

秒を稼ぐ、幼少の頃の僕はそれをずるいと感じていたと記憶している。

 

今思えば、湯冷めさせまいとする父の紛れもない愛だった。

少年と一緒に風呂に浸かっている僕は、45年以上も前の

当時の僕と少年を重ね合わせていた。

 

僕は幸せ者だ、僕の家は喧嘩ばかりの両親だったし、

子供の頃は喧嘩は止めてくれよと子供ながらに思ったが、

それでも父と一緒に風呂に入れた。

 

この子には僕が当たり前に受けていた親の愛が、

ある日を境に、プツリと切れて無くなってしまった。

 

「入ったら30秒数えて終わったら出ていいよ。」

とぼくが言うとその子は

 

「じゃ一緒に出よう。」

 

と逆にお誘いを受けた。

風呂を出る時にその子は体を洗ってもらったお礼をお母さんもしたいと思うから、

一緒に出て、と言ってきた。そんな大した事はしていないと言いかけて止めた。

この子にとっては大した事だったかもしれないからだ。

 

僕は慎重に言葉を選んで言葉を発した。

 

「僕ら夫婦は子供がいないんだ。だから僕は子育ての経験もない。

でも君と今日風呂場で過ごした間にちょっとだけお父さんになった気持ちになれたよ。

だから感謝してる。ありがとう。」

 

この言葉が彼にどんな思いを抱かせたのかは僕にはわからない。

でも、僕は感謝の意を告げたかった。

それ以上でも以下でもない言葉だった。

 

風呂から出ると5歳くらいに見える妹さんと

30代くらいなのかな?(女性の年は分からない。)

お母さまが風呂上りの上気した顔で出口で待っていた。

 

事前にカウンターにいた女性から

僕が世話をしていたと聞いたらしい。

恐縮した面持ちでお母さまは

深々と頭を下げてお礼をしてくれた。

 

本当はこちらからお礼を言いたかったのだが、

それもくどく成るから言わずに

 

「いいえ~。」

 

と手を横にふった。

別れ際に彼は

 

「明日もまた会える?」

 

と聞いてきた。翌日は沖縄のお店の営業日、

その後、大家さんであり、沖縄の母と親しんでいる

ご家族と会食の予定で、帰りは遅いと予想した。

 

「うん、ごめんね。明日は仕事で帰りは遅いんだ。

でもまた会えると良いな。」

 

僕はニコッと笑い、頭をなでようとして止めた。

彼は8歳で風呂場では僕に甘えていたけど、

今は妹の前、兄を演じている立場だ。

 

その晩、彼とのやり取りを妻に伝えた。

妻も不思議だね~。と僕の感想に同意した。

結局僕ら夫婦の結論は、そもそも彼が寂しかった事。

そして旅先で一人で風呂に入る事が、更にその寂しさに拍車を掛けた事。

更に彼は、お兄ちゃんの立場で、自分の家族にお父さんがいて欲しいと感じ、

僕をパパ役にスカウトしようと当初はしていた事。

 

その全てが涙ぐましくって、つくづく親の責任っていうか、

両親二人が健在であることの幸せを僕は気づいていなかったと痛感したのです。

どんな理由で彼の家族は破綻したのか、そんな事は一切わかりません。

お母様にとっては、その旦那さんと一緒ではまともに子育てできなかったのかもしれません。

彼だって、このお父さんじゃ無理だって、それは分かっていたのかもしれません。

 

それでも彼は父を欲していたのです。

 

時に旅先ではこんな出会いで僕の心を揺さぶり、

そして僕はまた52歳にして一

つ大人への階段を一歩上った気がします。

 

少年の寂しさを、思いを察して、

全力で彼にとって僕との出会いが、

少しでも有益であれと願って、

表情、発する言葉を選んで僕の思いを伝えたのです。

 

最後の別れ際僕はこんな言葉で思いを伝えました。

 

「僕からお願いだ。今は無理でも

いつかお母さんを守ってやってくれ。」

 

彼は一瞬不思議な顔をしたけど、

その刹那に表情は引き締まり男の顔になって

 

「うん。」とうなづいた。

 

それは前も洗ってとお願いしてきた時の甘えん坊の面影は微塵もなかった。

 

勘違いして欲しくないのは、僕も子供はいなかったとはいえ、

離婚経験者でバツイチだ。離婚は絶対にするななんて言うつもりは毛頭ない。

僕のいつも遊んでいる地元の同級生の過半数は離婚経験者だ。

 

中には、子供もいながら離婚したり、成人出来るくらいまでは育ててから離婚したり、

一口に離婚って言ってもケースバイケースで、離婚やむなしなんてケースも当然あるだろう。

それでも、今回の少年との出会いと、そして別れを経験すると、

離婚した後の子供たちは多感な年ごろにトラウマと言われるような

心の傷を負ってしまうのだと目の当たりにしたのです。

 

出来れば人の不幸は見たくないし、

人の不幸は蜜の味なんて言葉もあるが、

僕は人の不幸を嬉しいとは残念ながら思えない。

 

逆に他人でも、幸せそうに会食していたり、

おじいちゃんおばあちゃんが手を繋いで歩いていたりすると

ほっと安心する性分だ。

 

彼との出会いと別れを経て一日が経った。

若しかしたら彼は、どこかに僕はいないか?

と気を配っているかもしれない。

 

いや若しかしたら

逞しく次のお父さん候補を探しているかもしれない。

 

それでも、そんな彼の心中を思うと、

何ともやりきれない思いになる。

せめて、彼にとって8歳の沖縄旅行が

何かの身になり、彼の成長の一歩になってくれれば

本当に嬉しいと思い。沖縄紀行2022としたためた。

 

またどこかで会えたら、またその時は最高の笑顔で会おう!!

by 30分だけのお父さんより。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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