松山君がやった~♪
2021/04/13
本日のblogの難易度【★】
今朝の体重は74.7キロ。
今朝のYouTubeチャンネル登録者数は556人。
さて、昨日の朝は朝から起きていました。
なんのこっちゃ、いや、夜から寝ずに起きていました。
そうです。三日目を終えて松山英樹プロが、
二位以下に4打差をつけてトップにいる。
それを観戦する為に、眠らずにゴルフ中継に釘付けだったのです。
過去は青木功さんの二位が四大メジャーでは最高位ですから、
若しも優勝した場合には、日本人初に留まらず、
アジア人初の快挙らしいです。
そもそもマスターズに挑戦する日本人の歴史は古く、
既に初挑戦から80年以上経過しているそうです。
青木さん、中島さん、ジャンボ尾崎さん、丸山さん、石川さん、
僕はゴルフはここ数年で始めたビギナーですが、
それでも上で挙げた様な
トッププロは名前が挙がります。
一方ゴルフに限らずスポーツ観戦は好きで、
子供の頃から、よく分からずにゴルフを観戦していましたが、
確かに4大メジャーは日本人では超えられない壁
として立ちはだかっているのは、
なんとなく感じていました。
僕はメガネオタクですが、
好きなスポーツとしては、
F-1
競馬
とありますが、競馬の世界ではその壁がフランスの凱旋門賞に
大きな壁として立ちはだかられ、何度も日本の強豪馬は跳ね返されてきましたし、
僕もオルフェーヴルが二年連続で二位に敗れたレースは
ロンシャン競馬場で観戦しました。(←コロナ禍の今から見ると僕って幸せね。)
場内にはヨーロッパの人に混じり日本人が数多くいて、
レースを見守り、そしてゴール前では声を挙げて声援を送りました。
ですが、オルフェーヴルが勝ちに等しく刺されてしまい、
僕らも惜しい負けの味を味わいました。
負け組の僕らは帰りに二両繋がりの駅との
ピストンバスに乗って帰路につきました。
そのバスの車内では日本人の誰もが首を下げてうなだれて、
そして真一文字に唇をかみしめていたことを良くよく覚えています。
そして、日本馬が凱旋門賞に初挑戦したのが、
1969年(あ、僕の生まれた年!)のスピードシンボリ(着外)
に始まり、最高は二着。ただしゴルフに比べてまだ、
50年程の歴史しかありません。
そう考えるとゴルフ関係者の過去の敗戦の歴史の積み重ね、辛酸をなめさせられた歴史。
それは無駄ではありませんし、継続こそが、力のなのですね。
そしてゴルフ関係者の方々は、その想いが一気に発露して、
実況アナと中島さん、宮里さんの嗚咽に繋がったのでしょう。
僕も勿論その関係者の思いを察して共感して号泣しました。
矢沢永吉さんが、ライブの時に一度だけ
涙して歌えなくなった事があると
テレビでご発言されていました。
それは
「あ~、ちっぽけだった俺も高見を目指してやってきたが、
俺もやっとここまで来れたか。」
と大勢のファンを前にして感極まったそうです。
だて僕がこの業界を改革したい。それを志してからまだ16年、
でも、僕の無くなったお師匠さんの思いを歴史として繋いでいけば、
ゆうに50年は超えています。実際には僕らの力不足で、
業界は改革どころか、後退しました。
良質な眼鏡を多くの国民が手に取れる日は一見すると遠ざかった様にすら
僕には見えます。でもゴルフの4大メジャーも凱旋門賞も、矢沢永吉さんも
「諦めなかったから。」その高みに行けると信じてやっているし、
矢沢さんとゴルフ業界は、その答えを満点で答えを出したし、
競馬界だって諦めていません。そして僕も決して諦めちゃいけないなと
松山君の「やった~!!!」と喜ぶ笑顔よりも、
ただただ50秒以上沈黙し嗚咽するゴルフ関係者の涙の方に
僕は共感し、そして力を頂きました。
信じて続けていれば、いつか必ず答えは出るのです。
そして時にそれは世代を超えて伝わっていきます。
僕が出来ない時の言い訳する訳じゃありませんが、僕が出来ずとも
僕よりも志の高くて優秀な若者がきっと跡をついでくれるでしょう。
ですから僕は今を憂いてはいても、未来を心配はしていません。
なるようになるのです。そしてその為に僕が「今」何が出来るのか、
ただただ愚直にこのblogでキーをタイプするのです。
ただ、あんな涙を流せる高みに立った時の気分って
どんなだろう?っと羨ましくもありました。
それではまたこのblogでお会いしましょう。