受け継がれる遺志

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眼石祝応のBLOG

受け継がれる遺志

2022/07/16

本日のblogの難易度【★★★】

今朝の体重は80.3キロ。

今朝のYouTubeチャンネル登録者数は1120人。

 

うげ!!昨日はヴァーミヤンでしゃぶしゃぶと中華の食べ放題を

したら、体重がやばい!そして胃がもたれている…。

今日は調整しようっと。

 

今日も朝か濃いい内容のtweetをつぶやいていました。

こんな人がここにいるよとアピールする意味は勿論、

こんな素敵な大先輩がここにもいるよ、って伝えたかったのです。

 

では以下tweetより転載します。

(Twitterより転載開始)

受け継がれる遺志:僕のお師匠さんって実は無数にいるのだけれども、例えば、歌の師匠、ゴルフの師匠、グルメの師匠、健康の師匠。枚挙に暇なく僕の周りにはスペシャリストが沢山いらっしゃる。そうそう、SNSの師匠なんて方もいらっしゃいます。それでも眼鏡に関する師匠はそれ程多くはありません。

受け継がれる遺志-2:僕の眼鏡の師匠にも視力測定の師匠、視力測定でもドイツ式の師匠、米国式の師匠。フィッティングの師匠。加工の師匠、接客の師匠で影郎さんなんて人もいます。中でも僕の生き方にまで影響を与えた方として、ドイツ式の南澤先生、秋澤社長は僕の生き方を劇的に変えてくれました。

 

受け継がれる遺志-3:お二人共に人格者でした。そしてお二人共に柔軟性の化け物のようにぐにゃんぐにゃんに新しい物に触れると化学反応を起こし、常に変革出来る革新的なお方でした。あ、秋澤社長は引退はされましたが、ご存命です。何しろお二人の生き様が僕の生き方に強く影響を及ぼしたのです。

 

受け継がれる遺志-4:お二人は僕に無償で全ての知識を教えてくれました。それを全て吸収出来たかは甚だ自信がありません、何しろお二人は全てをさらけ出してくれたのです。何故自ら積み重ねたご自分の財産を投げ売りするかの様に僕に懇切丁寧に教えてくれたのでしょう?僕は当初まるで理解不能でした。

 

受け継がれる遺志-5:南澤先生が亡くなられた今となっては推測の域を出ませんが、先生は積み重ねた物を次世代に手渡し、それをお弟子さん達が更に積み重ねて、先生も成し遂げられなかった完成形を作って欲しかったのでは?と僕は推察します。僕の様な、先生にすれば若輩者達に託すという意味です。

 

受け継がれる遺志-6:翻って眼鏡業界を見渡すとその自分の弟子を見つけられずに自分の代で土台ごと霧消してしまう事例を幾例も見てきました。努力研鑽して積み上げた知見は全て消えてなくなるのです。僕は視力測定法の普及活動をしていますが、それを避ける為に、知識情報の共有は積極的にしています。

 

受け継がれる遺志-7:僕に万が一があっても、誰かが引き継いでくれれば良いのです。先生はご自分で積み上げたドイツ式の検査方法が普及する世の中を確かに夢見ました。僕は普及活動はしますが、純粋な意味で南澤先生の御遺志を継いでいません。それはドイツ式だけでは最適解だと思えなかったからです。

 

受け継がれる遺志-8:僕は米国式とドイツ式の融合、更に、その先に日本式のスタンダードを作るべきだと考えました。双方の良いとこどりをすれば良いし、そういった他文化を吸収し日本流にしてブラッシュアップする事こそ日本人のお家芸だとも思えるからです。ただしそんなに簡単ではありませんでした。

 

受け継がれる遺志-9:それは何故かと言えば、視力測定検査理論は、日本ではなかなかサイエンスにならず、一部の眼鏡士は宗教の様に、お師匠の言う事を信じてしまう傾向にあるからです。科学である筈の理論は、根拠なく、信じる対象になってしまっているのです。僕はその傾向を危惧し憂いています。

 

受け継がれる遺志-10:日本は、もっと積極的に意見交換し、化学反応を起こすべき、それを感じますが、現実には小さなピラミッドの様な会派が多数存在し、その会派同士がディスカッション出来る環境に無いのです。それを僕は問題視しています。いつか全日空レベルで会合を開けると良いなと夢想します。

 

受け継がれる遺志-11:僕は確かに大先輩に託されたのだと自覚しています。でも僕の目指す世界は、その先輩の御遺志をそのまま丸のみする事では、決してありません。僕がその大先輩方に恩返し出来るとしたら、先輩が行きたくとも行けなかった地点へ到達する事で本当の恩返しが完成すると思うのです。

(以上Twitterより転載終わり)

 

それではまたこのblogでお会いしましょう。

 

 

 

 

 

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