眼鏡評論家デビュー
2022/10/06
本日のblogの難易度【★★★★★】
今朝の体重は79.1キロ。
今朝のYouTubeチャンネル登録者数は1178人。
さて火曜日発売の週刊女性で「格安メガネ裏事情」
と題して、お話させて頂いた。
そもそも昔高かった眼鏡が何故、こんなに突然安くなったか。
その理由は?っとか、高い眼鏡屋さんで作ればそれで良いの?
っとか、11/16から眼鏡作製技能士の技能検定試験が始まりますが、
それについてもふれています。
何しろ耳タコ話で恐縮ですが、
メガネは雑貨やアクセサリーではなく、
医療器具。それが大原則だという事です。
実はこの週刊女性は、眼鏡評論家としての
デビュー戦。先日の週刊朝日に続いてですが、
先日の週刊朝日では眼鏡評論家という肩書は使わなかったのですが、
今回は、先方の希望もあり、僭越ながら眼鏡評論家という肩書で
お話させて頂きました。今朝のtweetはその眼鏡評論家が何故生まれたか?
それについてお話させて頂きました。
(以下Twitterより転載開始)
眼鏡評論家-1:僕は(自称)眼鏡評論家として、およそ二年半YouTubeで活動してきた。
眼鏡評論家になりたくて成った訳では決してない。でも10年も前から、
この業界には評論家が必要だって言い続けてきたけど誰もしてくれなかった。
自分がなってみてわかる事は評論家業はリスクだらけで矢面に立つって事。
眼鏡評論家-2:例えばレンズメーカーのレンズを分解し収差(不要な乱視と理解して欲しい。
見え心地に悪影響を与える設計上どうしても発生してしまうレンズのネガティブ要素)
の出方を一目でわかるように解説する。それに対して悪い評価をしたとする。
もしくは他のメーカーに比して劣ると言ったとする。
眼鏡評論家-3:悪評を貰ったレンズメーカーはどう思うだろうか?
伊藤はレンズの設計を一から学んだ訳でもない癖に生意気だ。では取引で距離を置こう、
なんて最悪取引停止だってメーカーとしては対抗措置としてあり得る。
フレーム屋さんだって、僕の大好きなデザイナーK氏は評論家が大嫌いと公言してる。
眼鏡評論家-4:この様にリスクだらけの評論家業だが、何故誹謗中傷に曝される様な
リスクある選択を僕はしたのだろう?それは評論という行為が生活者の方々には
明らかに有益だと感じるからで、評論家不在の現状は消費者の利益を損ねていると思っている。
その要因は複数に渡る。簡易だが解説したい。
眼鏡評論家-5:消費者の不利益その1~眼鏡の良し悪しをジャッジできずに
安い眼鏡も高い眼鏡も機能的に何も変わらないと思っている。
結果的に価格と似合う似合わない「だけ」で眼鏡を選んでいる。
その結果日本のメガネマーケットは雑貨化した。
それが国民の生活の質と労働生産性を著しく低下させている。
眼鏡評論家-6:一例を挙げれば球面設計と非球面設計のレンズ、
非球面の方が周辺の収差が軽減し見え心地が快適だ。これはセールストークと言えるが、
一方中心部のカーブと目的距離、更に近視の強弱等の度数によっては周辺の歪みも軽微で、
むしろ中心部の見え心地は球面設計の方が優れている場合がある。
眼鏡評論家-7:安いレンズで良いよと言ってしまうと商売の邪魔をする。
だから眼鏡屋の販売員は、例えこの事実を知っていても無視して高額なレンズを販売しようと努力する。
これに憤慨した顧客は、プライスショップの登場を歓迎した。
まさにプライスショップは僕らの慢心が生み出した業態と言えよう。
眼鏡評論家-8:そもそもレンズの理論は複雑だ。収差というレンズの歪みの感じ方も千差万別、
これは中心視と周辺視の使う比率の個人差であったり、性格的に神経質な方と鈍感な方では、
歪みの感じ方にも差異があるからだ。それでも無色透明なレンズの見え方の特徴を
僕らは説明する義務が本来はある。
眼鏡評論家-9:評論家が生まれた背景にもまさにそのレンズ理論の難解さがある。
でもそこから逃げて説明を省けば省く程に消費者の理解は進まず、
結果として眼鏡は現状の様に雑貨であるという間違った認識で思考停止する。
だからこそ評論家というフィルターを通して情報を噛み砕いてお伝えする必要がある。
眼鏡評論家-10:現状は僕唯一と言っても良い眼鏡評論家だが評論家のフィルターを通して物を伝えれば
当然だが、その評論家の好みや癖により評価が揺らぐ。
僕であればレンズの設計はハード設計の方が好きだとか偏るのだ。
車のサスペンションの足回りに例えれば良いだろうか?そこには好みの世界がある。
眼鏡評論家-11:好みによる揺らぎは評論家としての立ち位置と言っても良い。
現状それが僕一人しかいないとするのなら、それは消費者にとって非常に危うい。
何故なら評論家の好みと自分の好みが合うのか、評論家の言い回しが理解しやすいとか、
し難いが当然生ずる。いつか評論家が沢山登場する世を願う。
(以上Twitterより転載終わり)
僕の後に雨後の筍のように、眼鏡評論家が生まれてくれれば
願ったりかなったりだが、一方、その為には僕自身が評論家をやって良かったと思えるように
自分自身に成功体験を生み出し、腑に落とす必要がある。
僕自身、評論家業としての旅は始まったばかりで、
人生として捉えても旅の途中だが、その旅の行く末をどうかご覧になって頂き、
願わくば温かく見守って頂きたいものだ。
それではまたこのblogでお会いしましょう。