デーツの実がくれた物

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眼石祝応のBLOG

デーツの実がくれた物

2021/01/22

デーツの実がくれた物

 

僕は、もう心底嫌になっていた。大学の講義も、それから親の小言、そして彼女の我が儘にもだ。だが単位はぎりぎりだ、いつものルーチンワークであるかのように僕は学校に向かう。きっと周りから見たら死人が歩いているようだろう。それは自分でも把握している。だが大学に最寄の駅で彼女は待っている。そんな僕の憂鬱なんてどこふく風だ。

 

「おはよう!元気?ゆずね~今日は結構ハッピーだよ。」

 

何が彼女をこんな気持ちにさせるんだろう。僕には到底理解出来ない。

 

「え?まあまあかな…。」

 

「急ごっ!時間ぎりぎりだよ。」

 

(5分遅刻してもあの先生なら大丈夫、大したことにはならないだろう。)

 

「まだ、大丈夫だよ。ゆっくり行こう。」

 

「う、うん…。」

 

僕らは、きょろきょろ落ち着きなく周囲に視線を配るゆずと、背中を丸めのっそりと歩く僕とで不似合いなカップルに映ったに違いない。少なくとも町の景観には溶け込んでいない筈だった。

校内に入り、目的の教室に僕らは向かったが、僕はふと何気なくある場所に視線を送った。それは廊下の掲示板だった。

 

『君もアフリカに行って見ないか?君らを迎えるゲストは、必ず君らに何かを与えてくれる。』

 

それはそのキャッチコピーだけをみれば明らかに怪しかった、才能の無いコピーライターの考えだろう。だが僕はそれでもその後の文面を立ち止まり見ていた。それはエチオピアにボランティアとしてお手伝いにいく体験ツアーの案内で、どうやら学生限定のようだった。

 

「もう、一貴、行こう!本当に遅れるよ。」

 

「あ、あぁ。」

 

「それじゃ、皆揃ったね?このエチオピアが内戦状態ではないとは言っても単独行動はとらないように、また基本的には僕の言う指示に従ってもらうよ。」

 

と今回のツアーのガイドが皆に説明を始めた。大都市アジスアベベから一歩外にでれば、スラム街、そこもすぐに通り過ぎあとはサバンナを車は走った。そして空港から約4時間、TOYOTAのワゴンに揺られ、僕らは現地に着いた。途中スライドドアが何回も開き、最初は窓際の子は落ちそうになっていた。現地のドライバーだろうか?ケラケラと笑っていた。これが当たり前らしい。

 

今回の僕の目的は農耕に適さない荒地を皆で耕し、穀物を植えて帰ることだ。

 

「それでは皆は既に聞いているとは思うが、共同生活をしてもらう。夜は少し寒いけどシャワーは無いから水を汲んで掛けて欲しい。こっちは1週間や2週間お風呂に入らなくても大丈夫だけど、君たちはそうはいかないよね?だからこちらの方々がご好意で用意してくれたよ。だから文句言わず使う事。分かったね?」

 

今回のツアーは4人が男、1名だけ女の子が居たのだが、その子は一瞬でもむくれるのかな?と見ていたが流石にこのツアーに参加するだけあって、つわものらしい。はい!と誰よりも大きな声で返事をしていた。

 

当日の夜、僕らは、地元の方々の歓迎を受け東京の味付けからすると物足りないが、現地の方に言わせると滅多に食べられないというご馳走を食べていた。そんな食事で顔を引きつらせていると、僕を見つめる視線に気付いた。彼は多分6歳前後か、大きな目をした男の子だった。僕は自然とその子のもとに近づいた。出来る限りの笑顔を作って。

 

彼の名はマモというらしい。僕は当初旧宗主国でもあるイタリア語で挨拶してみたが、実は片言だが英語の方が伝わった。それから五日間、僕はマモとのボディランゲージも含めた会話を楽しんだ。昼間の作業中は高地ということもあり、それ程熱くはなかったがそれでも畑仕事は汗をかいた。それは東京でかく汗とは違っていた。自分の汗を気持ち悪く感じないのだ。マモも汗を書いていた。近くの井戸まで水汲みに行った帰りだと言っていた。マモと僕はそうやって少しずつだが仲良くなれた。

 

マモと出あってから三日目、マモは手の平に収まった一粒の実を見せてくれた。デーツの実というらしい。これを1日一粒ずつおやつとして親から貰っているそうだ。マモはそれを僕に見せてくれた後、それを大切そうにしまった。僕は何も感じなかったが、美味しいのかい?と聞くとマモは最高の笑顔でイエスと言った。

 

そんなマモとの五日間はあっというまに過ぎ、そして別れの日がやってきた。僕は正直朝から上手く言えないが機嫌が悪かった。一つの耕地を耕しスケジュールどおりに僕らはこなした。その達成感もあった、だが僕はマモと離れなくなかったのだ。荷仕度をすませ、僕らは五日間お世話になった宿を出た。玄関を出ると少し離れた所にマモは居た。既に目に涙を溜めていた。僕は大人なんだからここで泣いてはマモを更に泣かしてしまうと思い、初日より多少上手くなった笑顔で近づいた。マモは泣いていたが僕の顔を見ると涙を拭き、僕よりぎこちなく笑った。するとマモは、袋からデーツの実を三粒取り出して僕の手を取り、僕の手の平に乗せた。マモがこの実をどれ程楽しみにしていたか僕は知っている。

 

「ね~一貴今年の誕生日、どこのレストラン行く?美奈が麻布のレストランで美味しいお店あったって言ってたよ。そこにする?」

 

「私これ嫌いだから食べたくない。残してもいい?」

 

「ここクーラー利き過ぎ、夏なのに寒いよね?」

 

僕は堪らずマモを抱きしめた。抱擁したかった訳ではなく泣き顔をマモに見せたくなかったのだ。僕は日本語で

 

「ありがとう、ありがとうマモ。」と言った。

 

マモは僕の背中をさすってくれた。僕はマモに僕の居た証を持っていて欲しいと思ったので、ネックレスをマモの首に掛けた。マモはそのペンダントトップを握り締めていた。僕は行きと同じワゴンに乗り込んだ。もうマモは泣いていなかった。6歳とは思えない力強さを彼の表情に感じた。

 

村の皆は僕らのワゴンを追いかけてきてくれた。マモは一人その場で手を振っていた。僕は涙でかき消されまいとしきりに涙をTシャツで拭った。

 

あれから1ヶ月、デーツの実をくれた少年の話は僕の中では、今でも昨日のことのように覚えている。マモと僕は約束した。僕はまたマモに会いに来る。マモも必ず日本に来ると言ってくれた。僕は次に会う時はマモの前で恥ずかしくないように、日々を懸命に生きようと誓った。先が見えないからとやる気なく、何となく過ごすより、今をがむしゃらに生きてみたいと思ったからだ。

 

あとがき~このお話は、どこかのサイトからで見かけた話をもとにインスピレーションを受けて書きました。僕はこの話を読んでうるっときました、昨日この話を常連さんにもしたら彼女も何かしら感動したようです。そんなら皆でこの感動を共有しようと思ったのです。このマモ君の心の豊かさに僕らはかないません。豊かって何?と問いたくもなります。皆さんも何か感ずるものがありますように。

デーツの実がくれた物

 

僕は、もう心底嫌になっていた。大学の講義も、それから親の小言、そして彼女の我が儘にもだ。だが単位はぎりぎりだ、いつものルーチンワークであるかのように僕は学校に向かう。きっと周りから見たら死人が歩いているようだろう。それは自分でも把握している。だが大学に最寄の駅で彼女は待っている。そんな僕の憂鬱なんてどこふく風だ。

 

「おはよう!元気?ゆずね~今日は結構ハッピーだよ。」

 

何が彼女をこんな気持ちにさせるんだろう。僕には到底理解出来ない。

 

「え?まあまあかな…。」

 

「急ごっ!時間ぎりぎりだよ。」

 

(5分遅刻してもあの先生なら大丈夫、大したことにはならないだろう。)

 

「まだ、大丈夫だよ。ゆっくり行こう。」

 

「う、うん…。」

 

僕らは、きょろきょろ落ち着きなく周囲に視線を配るゆずと、背中を丸めのっそりと歩く僕とで不似合いなカップルに映ったに違いない。少なくとも町の景観には溶け込んでいない筈だった。

校内に入り、目的の教室に僕らは向かったが、僕はふと何気なくある場所に視線を送った。それは廊下の掲示板だった。

 

『君もアフリカに行って見ないか?君らを迎えるゲストは、必ず君らに何かを与えてくれる。』

 

それはそのキャッチコピーだけをみれば明らかに怪しかった、才能の無いコピーライターの考えだろう。だが僕はそれでもその後の文面を立ち止まり見ていた。それはエチオピアにボランティアとしてお手伝いにいく体験ツアーの案内で、どうやら学生限定のようだった。

 

「もう、一貴、行こう!本当に遅れるよ。」

 

「あ、あぁ。」

 

「それじゃ、皆揃ったね?このエチオピアが内戦状態ではないとは言っても単独行動はとらないように、また基本的には僕の言う指示に従ってもらうよ。」

 

と今回のツアーのガイドが皆に説明を始めた。大都市アジスアベベから一歩外にでれば、スラム街、そこもすぐに通り過ぎあとはサバンナを車は走った。そして空港から約4時間、TOYOTAのワゴンに揺られ、僕らは現地に着いた。途中スライドドアが何回も開き、最初は窓際の子は落ちそうになっていた。現地のドライバーだろうか?ケラケラと笑っていた。これが当たり前らしい。

 

今回の僕の目的は農耕に適さない荒地を皆で耕し、穀物を植えて帰ることだ。

 

「それでは皆は既に聞いているとは思うが、共同生活をしてもらう。夜は少し寒いけどシャワーは無いから水を汲んで掛けて欲しい。こっちは1週間や2週間お風呂に入らなくても大丈夫だけど、君たちはそうはいかないよね?だからこちらの方々がご好意で用意してくれたよ。だから文句言わず使う事。分かったね?」

 

今回のツアーは4人が男、1名だけ女の子が居たのだが、その子は一瞬でもむくれるのかな?と見ていたが流石にこのツアーに参加するだけあって、つわものらしい。はい!と誰よりも大きな声で返事をしていた。

 

当日の夜、僕らは、地元の方々の歓迎を受け東京の味付けからすると物足りないが、現地の方に言わせると滅多に食べられないというご馳走を食べていた。そんな食事で顔を引きつらせていると、僕を見つめる視線に気付いた。彼は多分6歳前後か、大きな目をした男の子だった。僕は自然とその子のもとに近づいた。出来る限りの笑顔を作って。

 

彼の名はマモというらしい。僕は当初旧宗主国でもあるイタリア語で挨拶してみたが、実は片言だが英語の方が伝わった。それから五日間、僕はマモとのボディランゲージも含めた会話を楽しんだ。昼間の作業中は高地ということもあり、それ程熱くはなかったがそれでも畑仕事は汗をかいた。それは東京でかく汗とは違っていた。自分の汗を気持ち悪く感じないのだ。マモも汗を書いていた。近くの井戸まで水汲みに行った帰りだと言っていた。マモと僕はそうやって少しずつだが仲良くなれた。

 

マモと出あってから三日目、マモは手の平に収まった一粒の実を見せてくれた。デーツの実というらしい。これを1日一粒ずつおやつとして親から貰っているそうだ。マモはそれを僕に見せてくれた後、それを大切そうにしまった。僕は何も感じなかったが、美味しいのかい?と聞くとマモは最高の笑顔でイエスと言った。

 

そんなマモとの五日間はあっというまに過ぎ、そして別れの日がやってきた。僕は正直朝から上手く言えないが機嫌が悪かった。一つの耕地を耕しスケジュールどおりに僕らはこなした。その達成感もあった、だが僕はマモと離れなくなかったのだ。荷仕度をすませ、僕らは五日間お世話になった宿を出た。玄関を出ると少し離れた所にマモは居た。既に目に涙を溜めていた。僕は大人なんだからここで泣いてはマモを更に泣かしてしまうと思い、初日より多少上手くなった笑顔で近づいた。マモは泣いていたが僕の顔を見ると涙を拭き、僕よりぎこちなく笑った。するとマモは、袋からデーツの実を三粒取り出して僕の手を取り、僕の手の平に乗せた。マモがこの実をどれ程楽しみにしていたか僕は知っている。

 

「ね~一貴今年の誕生日、どこのレストラン行く?美奈が麻布のレストランで美味しいお店あったって言ってたよ。そこにする?」

 

「私これ嫌いだから食べたくない。残してもいい?」

 

「ここクーラー利き過ぎ、夏なのに寒いよね?」

 

僕は堪らずマモを抱きしめた。抱擁したかった訳ではなく泣き顔をマモに見せたくなかったのだ。僕は日本語で

 

「ありがとう、ありがとうマモ。」と言った。

 

マモは僕の背中をさすってくれた。僕はマモに僕の居た証を持っていて欲しいと思ったので、ネックレスをマモの首に掛けた。マモはそのペンダントトップを握り締めていた。僕は行きと同じワゴンに乗り込んだ。もうマモは泣いていなかった。6歳とは思えない力強さを彼の表情に感じた。

 

村の皆は僕らのワゴンを追いかけてきてくれた。マモは一人その場で手を振っていた。僕は涙でかき消されまいとしきりに涙をTシャツで拭った。

 

あれから1ヶ月、デーツの実をくれた少年の話は僕の中では、今でも昨日のことのように覚えている。マモと僕は約束した。僕はまたマモに会いに来る。マモも必ず日本に来ると言ってくれた。僕は次に会う時はマモの前で恥ずかしくないように、日々を懸命に生きようと誓った。先が見えないからとやる気なく、何となく過ごすより、今をがむしゃらに生きてみたいと思ったからだ。

 

あとがき~このお話は、どこかのサイトからで見かけた話をもとにインスピレーションを受けて書きました。僕はこの話を読んでうるっときました、昨日この話を常連さんにもしたら彼女も何かしら感動したようです。そんなら皆でこの感動を共有しようと思ったのです。このマモ君の心の豊かさに僕らはかないません。豊かって何?と問いたくもなります。皆さんも何か感ずるものがありますように。

デーツの実がくれた物

 

僕は、もう心底嫌になっていた。大学の講義も、それから親の小言、そして彼女の我が儘にもだ。だが単位はぎりぎりだ、いつものルーチンワークであるかのように僕は学校に向かう。きっと周りから見たら死人が歩いているようだろう。それは自分でも把握している。だが大学に最寄の駅で彼女は待っている。そんな僕の憂鬱なんてどこふく風だ。

 

「おはよう!元気?ゆずね~今日は結構ハッピーだよ。」

 

何が彼女をこんな気持ちにさせるんだろう。僕には到底理解出来ない。

 

「え?まあまあかな…。」

 

「急ごっ!時間ぎりぎりだよ。」

 

(5分遅刻してもあの先生なら大丈夫、大したことにはならないだろう。)

 

「まだ、大丈夫だよ。ゆっくり行こう。」

 

「う、うん…。」

 

僕らは、きょろきょろ落ち着きなく周囲に視線を配るゆずと、背中を丸めのっそりと歩く僕とで不似合いなカップルに映ったに違いない。少なくとも町の景観には溶け込んでいない筈だった。

校内に入り、目的の教室に僕らは向かったが、僕はふと何気なくある場所に視線を送った。それは廊下の掲示板だった。

 

『君もアフリカに行って見ないか?君らを迎えるゲストは、必ず君らに何かを与えてくれる。』

 

それはそのキャッチコピーだけをみれば明らかに怪しかった、才能の無いコピーライターの考えだろう。だが僕はそれでもその後の文面を立ち止まり見ていた。それはエチオピアにボランティアとしてお手伝いにいく体験ツアーの案内で、どうやら学生限定のようだった。

 

「もう、一貴、行こう!本当に遅れるよ。」

 

「あ、あぁ。」

 

「それじゃ、皆揃ったね?このエチオピアが内戦状態ではないとは言っても単独行動はとらないように、また基本的には僕の言う指示に従ってもらうよ。」

 

と今回のツアーのガイドが皆に説明を始めた。大都市アジスアベベから一歩外にでれば、スラム街、そこもすぐに通り過ぎあとはサバンナを車は走った。そして空港から約4時間、TOYOTAのワゴンに揺られ、僕らは現地に着いた。途中スライドドアが何回も開き、最初は窓際の子は落ちそうになっていた。現地のドライバーだろうか?ケラケラと笑っていた。これが当たり前らしい。

 

今回の僕の目的は農耕に適さない荒地を皆で耕し、穀物を植えて帰ることだ。

 

「それでは皆は既に聞いているとは思うが、共同生活をしてもらう。夜は少し寒いけどシャワーは無いから水を汲んで掛けて欲しい。こっちは1週間や2週間お風呂に入らなくても大丈夫だけど、君たちはそうはいかないよね?だからこちらの方々がご好意で用意してくれたよ。だから文句言わず使う事。分かったね?」

 

今回のツアーは4人が男、1名だけ女の子が居たのだが、その子は一瞬でもむくれるのかな?と見ていたが流石にこのツアーに参加するだけあって、つわものらしい。はい!と誰よりも大きな声で返事をしていた。

 

当日の夜、僕らは、地元の方々の歓迎を受け東京の味付けからすると物足りないが、現地の方に言わせると滅多に食べられないというご馳走を食べていた。そんな食事で顔を引きつらせていると、僕を見つめる視線に気付いた。彼は多分6歳前後か、大きな目をした男の子だった。僕は自然とその子のもとに近づいた。出来る限りの笑顔を作って。

 

彼の名はマモというらしい。僕は当初旧宗主国でもあるイタリア語で挨拶してみたが、実は片言だが英語の方が伝わった。それから五日間、僕はマモとのボディランゲージも含めた会話を楽しんだ。昼間の作業中は高地ということもあり、それ程熱くはなかったがそれでも畑仕事は汗をかいた。それは東京でかく汗とは違っていた。自分の汗を気持ち悪く感じないのだ。マモも汗を書いていた。近くの井戸まで水汲みに行った帰りだと言っていた。マモと僕はそうやって少しずつだが仲良くなれた。

 

マモと出あってから三日目、マモは手の平に収まった一粒の実を見せてくれた。デーツの実というらしい。これを1日一粒ずつおやつとして親から貰っているそうだ。マモはそれを僕に見せてくれた後、それを大切そうにしまった。僕は何も感じなかったが、美味しいのかい?と聞くとマモは最高の笑顔でイエスと言った。

 

そんなマモとの五日間はあっというまに過ぎ、そして別れの日がやってきた。僕は正直朝から上手く言えないが機嫌が悪かった。一つの耕地を耕しスケジュールどおりに僕らはこなした。その達成感もあった、だが僕はマモと離れなくなかったのだ。荷仕度をすませ、僕らは五日間お世話になった宿を出た。玄関を出ると少し離れた所にマモは居た。既に目に涙を溜めていた。僕は大人なんだからここで泣いてはマモを更に泣かしてしまうと思い、初日より多少上手くなった笑顔で近づいた。マモは泣いていたが僕の顔を見ると涙を拭き、僕よりぎこちなく笑った。するとマモは、袋からデーツの実を三粒取り出して僕の手を取り、僕の手の平に乗せた。マモがこの実をどれ程楽しみにしていたか僕は知っている。

 

「ね~一貴今年の誕生日、どこのレストラン行く?美奈が麻布のレストランで美味しいお店あったって言ってたよ。そこにする?」

 

「私これ嫌いだから食べたくない。残してもいい?」

 

「ここクーラー利き過ぎ、夏なのに寒いよね?」

 

僕は堪らずマモを抱きしめた。抱擁したかった訳ではなく泣き顔をマモに見せたくなかったのだ。僕は日本語で

 

「ありがとう、ありがとうマモ。」と言った。

 

マモは僕の背中をさすってくれた。僕はマモに僕の居た証を持っていて欲しいと思ったので、ネックレスをマモの首に掛けた。マモはそのペンダントトップを握り締めていた。僕は行きと同じワゴンに乗り込んだ。もうマモは泣いていなかった。6歳とは思えない力強さを彼の表情に感じた。

 

村の皆は僕らのワゴンを追いかけてきてくれた。マモは一人その場で手を振っていた。僕は涙でかき消されまいとしきりに涙をTシャツで拭った。

 

あれから1ヶ月、デーツの実をくれた少年の話は僕の中では、今でも昨日のことのように覚えている。マモと僕は約束した。僕はまたマモに会いに来る。マモも必ず日本に来ると言ってくれた。僕は次に会う時はマモの前で恥ずかしくないように、日々を懸命に生きようと誓った。先が見えないからとやる気なく、何となく過ごすより、今をがむしゃらに生きてみたいと思ったからだ。

 

あとがき~このお話は、どこかのサイトからで見かけた話をもとにインスピレーションを受けて書きました。僕はこの話を読んでうるっときました、昨日この話を常連さんにもしたら彼女も何かしら感動したようです。そんなら皆でこの感動を共有しようと思ったのです。このマモ君の心の豊かさに僕らはかないません。豊かって何?と問いたくもなります。皆さんも何か感ずるものがありますように。

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